亀野の言葉を選ばない雑記帳

かめのが徒然書くところです。真面目なことからパッパラエピソードまで。

私のいじめ体験とその後遺症

様々な時間で止められてしまった時計が私の中にはたくさん転がっている。きっと死ぬまで動かない。



注意

  • この記事には精神的にかなりきついことが書かれています。特にいじめ経験者はしんどくなる可能性があるのでご注意ください。
  • 当然のことながら、私は世界を私の主観を通してしか観測できません。私の言い分しか書いていないということなので鵜呑みにしないように。

 


風の噂に、私をいじめていた奴(以下A)の父親が死んだと聞いた。
そういえば、謝罪、無かったな、というのが私の感想だった。

まあ謝罪なんかされたところで何にもならない。ましてA本人ではなくてその父親からなんて。謝られても私の失われた十数年は帰って来ないし私の鬱も治らない。
でも、本当に何も無かったと思うと虚無だった。
彼の中で、Aは可愛い娘だったのだろうか?彼は娘の罪を知らなかったのだろうか?

そんなことを考えてると嫌でも色々思い出されて、色々な感情が止まらない。
吐き出しも兼ねてここに書くことにした。どうせいつか書くつもりだった。

本当は冬に書こうと思っていたのだが、冬は私の精神が一番安定しない時期でもある。その時に回顧するのもストレスだなと思った。

 


まず私のいじめ体験は3つに分けられる。
小4クラスの男子にいじめられたもの
小5のクラス替えから別の男子にいじめられたもの
小6の冬に友人から無視をされたもの

さしずめ第一次、第二次、第三次というところだ。世界大戦より多いじゃねえか……


【第一次いじめ】

確か小4の初夏くらいだ。

きっかけは些細なもので、公園で遊んでいたら私の自転車のカゴに意図的か偶然かは知らんがお菓子の袋が入っていた。
それを見たクラスの男子数名が私のことを執拗に「ゴミ箱」と呼ぶようになった。
それから事あるごとにからかわれた。本名をアナグラムして下品な言葉にして笑われたりした。
何故なのか分からない。彼らとは小3のクラス替えで同じクラスになった。その時には仲は悪くなく、むしろ私は面白い友達だと思っていた。学年が変わって急に態度が変わった。
担任にも数回訴えたが、困ったことに主犯の男子は先生の説教が全く通じない児童だった。
彼は学校内で有名な教育ママの息子だった。一説によると、彼が恐れるのは母親ただ一人。あまりに母親が恐ろしくてそれ以外に恐ろしいものが無いらしかった。担任が怒ってみせても効力が無い。

彼は塾を含め多くの習い事をしていた。学年でもトップクラスの成績、運動も抜群だった。
……後の推測の一つなのだが、困ったことに私も学年トップクラスの成績だった。習い事は無しに。
平家物語の暗唱テストなど、大っぴらな場面で彼を負かしたこともある。
我が家は礼儀やマナーに関するしつけは厳しかったが、それ以外は比較的寛容だった(私がそもそも説教されるような逸脱行為をしなかったというのもある)。成績に関して特に何か言われたこともない(文句言われる成績でなかったというのもある)
このいじめは努力もせずに成績が良いことへのやっかみだったのではないか、という説がある。真相は闇の中。
なお私の運動能力はからきしだった。もちろんいい攻撃のネタだったよ。


【第二次いじめ】

小5のクラス替えで小4のいじめっ子とクラスが分かれてホッとしていた。新しく友達も出来た。
しかし安息はつかの間、別の男子グループからいじめられた。
理由は知らない。教えてももらえない。
でもこれの主犯(以下B)もお受験っ子だった。中学受験シーズンに1週間登校してこなかったから相当のガチ勢だろう。もしかしたらストレスもあったのかもしれない。

まあ頭が良くても学歴良くても人格がクズならお終いやなとは思うよ。

毎日「死ね」「ウザい」「消えろ」「デブ」(当時の私はむしろガリだったのに!)「ブス」「ババア」などひたすら罵詈雑言を投げられた。
母曰く、私に攻撃できるような隙が無いからロクな言葉が出ないんだと。でしょうね。私の方が成績良かったし。とはいえこれが毎日毎日だ。病む。
この辺りからそれまでずっと真面目にやってきた宿題が出来なくなった。鬱もあったのかなと今なら思う。

ちなみに、この頃には私のクソ真面目さは同級生にも鬱陶しがられるようになり、いじめ以外にも辛いことが増えていた。私の卒業文集のネタでもある。

 

一番酷かったのが小6の3学期。Bとその取り巻きと生活班が同じになってしまった。しかも、「中学の内申に書けるようにクラス全員平等に班長経験しよう」とかいう謎制度のせいでまだ班長経験が無かったBが自動的に班長になった。

Bは班長の権力を振りかざして私に嫌がらせを繰り返した。見えていた展開。

例えば、配膳される牛乳を「一人分余計だよ」と給食当番に返す。もちろん数は間違っていない。私の存在を否定するために私の分を返却するのだ。

生活班がそのまま体育のリレー班なのも地獄だった。なんで冬の体育はリレーにマラソンとランニングばかりなんだ。私は尋常ではない運動音痴故、「亀野のせいでビリだ」と何度も貶される。Bもたいして運動得意でもないし、取り巻きに至っては私とどっこいだった。なんで私なんだ。

歩いていると転ばされる。すれ違いざまに唾を吹きかけられる。
上履きを男子トイレに放り込まれて、仕方なく拾いに行けば変態呼ばわり。

顔のほくろを「顔にうんこ付いてるよ!」とからかわれる。
背の順で並んで隣り合うと嫌な顔をして、わざと遅く歩いたりして列を乱す。私が悪いと言わんばかりの顔で。勝手にやってろ

 

これは卒業するその日まで続く。

 

毎日うんざりだった。それでも学校に通って楽しくいられたのは、クラスに親しい友人達がいたからだった。だいたい8人、ここの縁で知り合った他クラスの子を入れて10人くらいのグループだったと思う。
彼女らに励まされて毎日学校に行けていた。
帰りも校門でずっと立ち話してから別れていた。

 

【第三次いじめ】

だが、そんな友情だって結局カスだったのだ。

6年生の1月、3学期初日。
登校して教室の友人に挨拶をしても返事が無かった。

シカトの始まり。
混乱する私を見て、元友人達は嗤っていた。

数日後、絶交を言い渡されて私は泣いた。
「亀野さんのこと友達なんて思ったこと一度も無いよ」と言われた。
その場では強がって「知ってたよ」と返したが、彼女らと別れてから泣いた。
床の木目を睨みながら泣いたせいで、今でもその床の模様を思い出せるし、その木目は私の中で一種の象徴めいたものとして、息苦しさを連れてくる。

これの主犯が冒頭に登場したAである。
Aはとても私と仲良くしてくれていたメンバーのうちの一人である。
Bのいじめも彼女達がいたから耐えられていた。
理由は分からない。聞いても教えてもらえなかった。シカトされてるし。

救いは、このいじめに加担せず、私側についた子が二人だけいたことである。ただし、一人は他のクラスであったこともありクラスでは結構孤立していた。
この味方曰く、「亀野さんと仲良くするのはやめな」とAが持ち掛けてきたらしい。陰口とかも言っていたようだ。

学校の先生は……どうだったのだろう。あれだけ騒がしければ少なくともBのいじめは気づきそうなものだが介入は無かった。
Aのいじめは、あまり大事にしたら仲直り出来ない気がして相談出来なかった。あんな奴らと仲直りの必要なんてないのにね、今思えば。当時の私は優しかったし、希望も捨ててなかった。

校外学習の時、昼のお弁当を食べる時にハブにされたのは泣いた。A達に意図的に孤立させられたのだ。泣きながら先生の方を見たが誰も助けてくれなかった。

なお当然ながら、B達によるいじめも並行して行われていた。
正直、初っ端から嫌っていじめてきたBのがまだマシだとさえ思っていた。今まで仲良くしといて裏切るような真似して不要になった雑巾みたいに捨られるなら、最初から仲良くしないで欲しかった。


この頃には自殺を考えていた。
毎日気が狂いそうで、2階の教室の窓から「ここから落ちたら死ねるかな」「低いかもだけど花壇の煉瓦を狙えばいけるかな」とずっと考えていた。
いじめのメンバーの一人の家が7階だかのマンションだったから、当てつけにそいつの家で死んでやろうかとも思っていた。

そして自傷行為が出ていた。コンパスの針で手の甲を刺したり引っかいたり。
このような自己破壊的な行動傾向にはこれから今に至る十数年、悪化しつつ悩まされることになる。

私の精神は12歳にして壊れていた。
どうして小学生が自殺衝動と戦いながら生きなくちゃいけないんだ。

自ら「地獄の釜に自分から飛び込むようなバカな行動」とまで評していながら(母談)学校に通い続けたのは、母が「これで通うのをやめたら相手の思うつぼだよ」という言葉からだ。
※当初いじめのことは隠していたが1週間もせずに「突然Aちゃんの話をしなくなった」と母にバレた。読心術でも使えるのかと当時は本気でビビった。
だって理不尽じゃないか。被害者はこっちなのに。休むってのは学ぶ権利を奪われることだ。
……今でも私はこれには同意するが、最善手ではなかった。
逃げれば良かった。でも当時はそれが出来なかったのだ。
休むのは悔しかった。嫌だった。例えもう3学期で授業なんてほとんど終わっていても。

もし同じ状況の人がこの記事を読んでいたら、即座に逃げたまえ。余計なストレスは抱えないに限る。これから書くような道を、あなたには辿ってほしくはない。

途中、ストレスで蕁麻疹を出して倒れた一日を除けば、私は休まず学校に通い切った。
あと、笑い者にされたことにキレた私がAの取り巻きの一人に手をあげてしまい、教頭と担任からの1週間近い取り調べになる事件があった。これにより学校側が正式にいじめを認知したっぽい。まあだからといって特に何も対応は無かったけどな
ってか私が加害者になって初めて認知するって。あと私にやられた子がさも被害者って面で、自分の行いは親に告げなかったせいでその母親が100%私を悪者にして学校にクレーム入れたんだ。は?
私の心を殺したのにね。

よく3ヶ月保ったなと思う。
卒業式の日のせいせいした気持ちを私は一生忘れまい。やっと地獄とさよなら出来ると思っていた。切なさとか懐かしさなんて微塵も無かった。

 

【中学】

これで終わるならまだ良い。終わらなかったからこうして書いてるんだよ。
いじめは無くなった。小学校から申し送りがあったらしく、いじめ関係者とはクラスが被らなかった。
でも、何も無かったことにはならない。新しいスタートでハッピー中学ライフなんて無理だった。
第一に、同じ小学校出身の友人が皆無だった。友人の多くは縁が切れたから当然だ。ただし小学校の知り合いは多少クラスが被り、彼にはいじめられていたことをネタにされるなどした。

第二に、私は12歳にして極度の人間不信に陥っていた。
初対面からいじめてくる男子は嫌い。でも、仲良くしといて裏切る女子なんてもっと嫌い。子どもは残酷だし、大人だってロクに助けてくれない。つまり人間全部嫌いだった。
そんな恐怖の中でまともな生活を送れる訳がなかった。特に入学直後は話しかけてくる人がみんな敵に見えていた。
いつの間にか人と目を合わせられなくなっていた。
部活に入り友達は出来た。でも「この人達もいつか裏切るんだろうな」と思いながら過ごしていた。そう思うことで、本当にそうなってもダメージが少ないようにしていたのかもしれない。常に最低の想定をしていた。
部活ではわざと転んで見せたりしてドジなふりをして(先天的に不器用なのでガチ転びのことも多かったが)、ピエロになってみせた。そうすればみんな笑ってくれるし、私を雑魚と見下してくれて敵意を向けてこないだろうという打算もあった。でもバカを演じるのってとても辛かった。
※想定外の効果として、発達障害&IQのズレによる奇行も「まあ亀野だし」で済まされていたところがある。多少の救い。

第三に、Aをはじめとしたメンバーは、笑顔で中学生活を謳歌していた。
私はこんなに苦しいのにどうして、私は笑えないのになんで幸せそうなの。憎悪が生まれたのはこの頃だ。
そしてそんな自分に激しい自己嫌悪を抱いた。自分も含めて人間の汚さを見すぎて人間が全部嫌いだった。自傷も続いた。

毎年、Aのいじめがあった3学期が近づくと情緒不安定になった。冬が嫌いになった。
今年の冬も私は捨てられるんじゃないか。毎晩枕が涙で濡れた。悪夢に飛び起きた。
私の部活に途中入部してきたいじめのメンバーも私を苦しめた。合唱部という団体競技故、和を乱す真似は出来ず、みんなの為に表面上にこやかに接していた。苦痛だった。
よくもいけしゃあしゃあと私の前に現れたよな

あとAに一回喧嘩を売られてトラブルになった。これは担任に相談してなんとかなったがウザかった。

中学校と関係ないところだと、私は小学校、特に自分の母校に近寄れなくなっていた。母校の近くを通ると息苦しさや吐き気を催した。
ランドセルを背負った小学生が楽しそうに走っていくのを見ると、眩暈がした。
とにかく「小学校」を連想させるものが全て地雷と化した。これは大学半ば辺りまでは年々悪化していった。


【高校】

地元の進学校に進んだ。校風は良く平和なところだった。
ところがどっこい、Aも同じ学校に来た。クソ。
幸いクラスは被らなかった(2年次以降は担任に訳を話して配慮してもらった)が、廊下移動や選択授業まではどうにもならず顔を合わせざるを得ないことがあった。
その度に不快だったし、しかも何故か私の友人と友人になっていることが多くて不愉快だった。どうして私の人生から消えてくれないんだ、もう死ねとまで言わないから私の視界に入らないでくれ。そう祈っていた。
この時もまだ人間不信は続いていた。人と仲良くなるのが怖かった。少し不機嫌な態度を取られると不安になった。信頼できる仲間がいないせいか空想の友達を生み出して会話していた。
いじられキャラポジションも引き続いており、葛藤は中学とほぼ変わらない。ただ、変人の多い学校故、今思えばそこまでする必要は無かったかもしれない。でも当時は人間不信だったので。
引き続き合唱部に入っていたが、ここで同期の一人にえらく嫌われてしまい(オタクだからとか言われていたが、発達障害的なムーブをして嫌がられたのだと思う)、彼女との関係も私の不安を加速させた。幸いこの件は理解者がいたのでなんとかなった。
自傷は悪化していた。傷跡が残り始めた。服が血塗れになる日もあった。
お菓子を大量購入して無茶食いすることもあった。

更にしんどいことに、未だに憎悪を捨てられずいじめを忘れられない私に対して母親が苛立ち始めた。忘れられない自分が悪人みたいな感じがして、自分が嫌いになった。
私が悪いんじゃないのに、悪くないはずなのに、頭がおかしくなっていた。

自傷のことも含めて、外部に相談するのを母は嫌がった。一回先生に相談したら母に怒鳴られた。
「弟も入る学校で何をしてくれているの。弟に『自傷する姉の弟』ってレッテルを貼りたいの?」
大人の助けは期待できない。それから私は自分は自分で救うしかないのだと考えるようになった。


【大学】

やっとAとは学校が別れた。誰も知らない場所に来られた。
心理学を専攻したのは、自らの心をどうにか自力で治療したかったことと、いじめを科学的に捉えたかったからだ。
ある意味、いじめられなければ選ばなかった道だ。結果、結構合っている学問だったのは唯一感謝……はしない。
人間が嫌いなのに心理学って矛盾してるよな、と他学部の友人に言われたことがある。多分嫌いだからこそなんだろう。
ちなみにいじられキャラは大学部活で確固たるものになった。部活は好きだったが酷い鬱になったのは言うまでもない。いじられないと自分の居場所が無いように感じる。でもいじられるのはキツい。体調は定期的に崩していた。保健室の常連になってよく休みに行っていた。

学べば学ぶほど、今の自分が明らかに異常で病理を抱えていることと(大学に入ってからは解離症状が頻発していた)、専門家の介入なしに対処するのは不可能だと悟った。自力とかそんな域はとっくに飛び越えていた。
大学のカウンセラーの助けを借りて親に隠れて通院を始めたのが3年の冬。

 

ついた診断名は「気分変調症」。診断書に書かれた推定発症時期は2007年頃。つまり小学校後半。大きな原因は小学校のいじめ。


こうして私は病人になった。
奇妙な話だ。推定とはいえ発症は10年前(診断当時)。ずっと病人だった。いじめのせいで病人にされた。
これがもし身体的ないじめだったら、それで骨折でもして全治数週間だったら、謝罪やら賠償とかあったんだろうか。
でも誰も謝ってくれなかった。いじめた奴らはまだのうのうと生きていて、何の責任も負ってくれなかった。私の人生はめちゃくちゃになったのに。
今だって人と目を合わせるのが怖いのに。
もっと人に心を開いた楽しい中高生ライフを送りたかった。
冬の度にフラッシュバックに怯える人生なんて嫌だ。
もうすぐ24になる今でも怯えている。あの時の倍の年齢になるのに。

小6の校外学習の国会議事堂をもっとわくわくした気持ちで見たかったし、丁度その頃流行り始めていた友チョコにきゃいきゃいしてみたかったし、悪夢に震えない冬休みを過ごしたかった。ピエロにならなくても安心できる世界が欲しかった。

 

風の噂にAの父親が死んだと聞いた。
彼は自分の娘が一人の人生を壊したことを知っていたんだろうか。
誰も、まだ、謝りに来ない。

受験勉強が苦手なんだ


表題の通りである。


私は何かを学ぶことは嫌いではない、というか好きだ。
でも受験勉強は本っっっ当に苦手である。

これは「勉強」と「学習」を異なる言葉として扱うという話ではない。
※私もこの二つは使い分けることがあるが今回の主題はそこではない。
また、苦手といっても出来ないという訳でもない。精神的に不得手という話である。

 

高IQと自閉スペクトラム症が発覚してから、やっぱり学問の道こそ我が天命であると考えて心理大学院の受験勉強に勤しんでいる。

実は苦痛だ。物凄く。

ノリと勢いで飛び込んだとも言える心理学という学問は幸い私にはかなり向いていた。この世界に骨を埋められるなら本望だ。
ところがどっこい。
その世界に骨を埋めたいなら大学院に入らなければならない。
臨床心理士公認心理師には院卒が事実上必須だし、私は研究職・大学教授志望なので更に必須なんて騒ぎではない。

だから受験勉強をしている。
心理大学院の入試は心理学と英語の2教科。
多くの専門用語を暗記し、人名とその業績を覚え、専門英語を覚え、……首を傾げてしまう。

何度も言うが勉強は好きだ。心理学という学問も好きだ。英語はそこまで得意ではないが言語学は嫌いではない。般教でも選択してきゃっきゃしていたし、実は心理学の前には比較言語学に興味を持っていた。
しかし、英語の勉強がどうにも上手くいかない。無論、やっている以上何も身につかない訳ではない。むしろ独学でよくやってる方だと思う。


受験勉強という作業がどうしても好きになれないことに気づいてしまった。


実を言うと、高校入試は大して特別な勉強をしていない。
大学入試も(当時鬱がピークで重かったせいもあるが)やっぱりしていない。
どちらもノー勉とまでは言わないが、塾行けるほど裕福ではなかったし、世間一般にイメージされる受験勉強もしていないと思う。
暗記本数冊。ぱらぱら捲る。読むだけ。本への書き込みという行為は嫌いなのでしない。

(今思えば視覚優位型の知能とアスペ特有のこだわりがここでも発揮されている感)
……こんなんだから大学入試落ちたり大変な目に遭ってるんだ。知ってる。
自信があったとかではもちろんない。
今思えば受験というシステムが死ぬほど嫌いだった。意義が見出せなくて。


※以下、「意識高い記事に見えるが実は限界まで意識が低い注意報」が発令されます


1.あまりにも効率が悪くて意義が見出せない

たとえ話をしたい。

全く知らない25万の単語とその意味をを暗記しろと言われて即座に実行できる人はどれだけいるだろうか。
多分99%の人は死ぬまでかかっても難しいと思う。
でも、もしあなたの手元に大きな国語辞典があって、そしてあなたがあいうえお表の順番を覚えていて、辞典の引き方を知っているなら、あなたは25万の単語の意味を聞かれても答えられる。

ちなみに25万というのは広辞苑の語数らしい。

もし手元に国語辞典が無ければ?
辞典が手に入る場所を皆様一ヶ所くらいご存じだろう。
書店で買ってもいい。図書館に行ってもいい。持っている知り合いがいれば借りられる。
「辞書の在処」「あいうえお表」「辞書の引き方」これらの知識さえあれば25万語はあなたのものである。

知識とは本来こういうもんじゃないかな、と私は思っている。
全てを丸暗記することなど、どだい不可能だし非効率的だ。
咄嗟に分からないことがあっても、どうすればソースの確かな情報を引っ張ってこられるかを覚えておけば良い。

国語辞典の例は簡単だろうが、これが専門性を帯びても少しややこしくなるだけだ。
例えば私の専門である臨床心理学を学んでいて、うつ病ってなんだ?となったら何を持ってくるべきだろうか。
一応国語辞典でも載ってはいるはずだが、さすがに科学的に突っ込んだことまでは書かれていない。

そこで、DSMやICDを用意すればいい。
間違ってもWikipediaとか言うんじゃないぞ!
このDSMとかICDが何だか分からない人も多いと思う。多分、医者か心理士か福祉士かそれらの卵ぐらいしか知らないっていうか、普通は人生で接点が無い。
でもDSMとかICDとかいう本の存在を知っていれば、精神疾患の診断の手引きとして医療現場や行政で広く使われていてそれなりに信頼に値することが分かる。
引き方は図鑑と似たようなものだ。医学や心理学なんて知らない人でも調べることは可能だ。
他にも、うつ病にどのような実例があるかを読みたいなら専門書や症例論文を引っ張ってくればいい。
DSMなどの妥当性の議論は本筋には関係ないし、たとえ話だからな念の為

もちろんこれらの専門書を読むには心理学の基礎知識があるに越したことはない。
だが無知識でも読みは出来るし、どうしても分からない専門用語は心理学用語辞典ででもまた調べればいい。
「正しい情報の在処と引き出し方」さえ分かれば物事そのものを知らなくても十分なのである。

 

2.一部の人間に意図的に決められたに過ぎないものに意義が見出せない

よく大学受験の参考書には、
まず覚えよう!Aランク
ここまで覚えれば安心!Bランク
難関大学を目指す君へ!Cランク
みたいな優先順位付けがなされていたりする。

これはつまり出題されやすい問題とか用語の順位だが、そんなもん誰が決めたんだろう。無論、受験問題を作る人々である。そしてそれに合わせて参考書を作る会社の人が作った。
そんなごく一部の人達によって作られた“受験での重要度”なんて概念、受験というイベントさえ終われば一気に無意味になる
ひとたび入学してしまえば、国数英社理がより細分化されて異次元と化しているor五教科のどれでも捉えきれない世界に飛び込むことになるんだから。だって心理学って文系のくせにやってること理系だし、なんというか、少なくとも五教科では決してないのだ。
随分と余計な作業を増やしてくれるなと感じるのは私だけなんだろうか。

 

3.丸暗記でないと困る場面が分からないので意義が見出せない


ただ試験を潜り抜けるための暗記テストなんてクソ食らえぐらいに思ってしまう。
高校普通科や大学入試だけでなく、院試でさえも。
だって、入学したら8割くらいは調べ事とお友達になるのに。

(特に専門的な)学問を考えたり研究するのには、それなりの知識は要る。間違いない。
だが、それだって常に丸暗記しているかといえばそうでもないんじゃないだろうか。
私だって卒業論文を書くとき、色々な文献を調べ、苦手な統計学はテキストとにらめっこし、時には先生に質問して、最終的にはきちんと心理学という学問に沿った論文を完成させた。
(学位論文程度でと思われるかもしれないが。)

特に大学のような研究機関としての側面があり、学生にもそういった姿勢が求められる場所ならば、集中力や考える方法や情報スキルの方が重要じゃないかなと感じる。
例えば医者だって、世の中に存在する病気を全て暗記してはいない。奇病に出会えば時に資料を漁り、時には他の先生を頼ることもある。もちろん全部知ってる医者がいれば良いけれど無理な話だ。

それで良くないか?

手続き的な記憶(歯磨きの手順とか車の運転とか)は丸暗記しなければ困るが、
いかにもお勉強的な知識は最低限身に付けていれば十分だよなと感じる。
調べるスキルをはじめとして、己の知識の世界の狭さに困った時にそれを自力で広げる手立てさえ持っていれば良いんじゃないだろうか。
「自力で」とは言ったが人に尋ねることも含む。自発的に、と言った方が正しいかもしれない。
受験勉強はこれに逆行する作業のように感じてしまう。

ちっぽけな人間一人が直接知ることのできる情報なんてたかが知れているんだ。
何もかも丸暗記しないと学ぶ者の扉すら叩けないってどうなんだろう。
一人で知り切れないことを色々学びたいから学校に入りたいのにね。


4.楽しくない

やりたいことがある。だからやらざるを得ないし、天命(なんて言うと聞こえは良いけどそれしか自分に道は無いと追い詰められただけなんだよね)と感じてからはかなり真面目にやってると思う。
でも納得がいかない。なんだか妙に疲れる。

大学受験なんて、心理学科入るのにだって国公立だと国数英社理(しかも社理は2科目ずつ)だからね。私は私大だったから文系3教科だったけど。まだマシ。
もちろん何も生きないとは言わない。心理学でも生物学知識は要るし、科学の発展史に歴史はどうしても絡んでくる。戦争なんて最たる例だ。
でも、なにもかも全部丸暗記するのって必要だろうか。
漢文、三角関数、遺跡の名前、炎色反応。ぶっちゃけ心理学をやる上では大学で使っていない。
(ただ、心理学は人が関われば存在は出来る学問なので、『論語に現れる親子関係』みたいなテーマで研究することも不可能ではないのだが珍しいケースなのでここでは除外)

知識は人を豊かにする。知っているだけで楽しい場面はたくさんある。それは私が多分人並み以上に大事にしていることだ。
どうでもいい雑学を意味も目的もなく貯め込むのは私の趣味である。
でもそれは私が楽しさやら自己満足を得るためにしている。「楽しさ」を得るのが目的っちゃ目的だ。そして楽しいからよく覚えられる。

ただ点数稼ぎのために面白みも無く丸暗記したものって本当に知識って呼べるのかな。疑問。

 

 

分かるよ。将来的に楽しく働きたいならここで勉強しておくべきなのは。
小学生によく親が言う「もっと勉強しておけばよかったと思うんだ」ってのはそういう意味だ。
だが、点取りのための勉強ほど無味乾燥したものもない。勉強好きのはずの私でさえこうなんだから、そうでない人はもっと辛いはずだ。

 

今回の私の救いは専門の学問に限定されていることだね。英語はまあ仕方ない。

宗教学習は面白いと思うんだけどな

中学か高校くらいの冬、クリスマスを何も知らずに祝うのは愚かではないかと思い立った。唐突に。
幸い近所の図書館には旧約・新約聖書を読みやすく小説の形に書き下したものが置いてあった。
早速借りた。その年のクリスマスは気のせいか安心して迎えられた。

 

 

はじめに、
私は神の類は信じていない。
と言っても熱心な無神論者でもない。
強いて言うなら不可知論者といったところ。
その上で、宗教を学ぶのが好きである。


一番の理由は、教養として面白いから。
例えば聖書の知識は、欧米のドラマや映画、小説、及び西洋モチーフの作品において明喩暗喩引用……多く扱われる。知っている方が圧倒的に楽しめる
もしあなたがどんなに無宗教だろうが、古くからキリスト教文化が根付いている地域があるのは事実だ。しかも千年単位で

もちろんキリスト教に限らない。
キリスト教と合わせて世界の三大宗教と呼ばれる仏教・イスラム教にもそろそろ手を出したいと思っている。
読みやすいものを見つけるのに苦労しそうだが。

日本では宗教はタブー視されがちだ。下手したら特に信仰をしていなくても、宗教に興味を持っているなんて言っただけでも気味悪がられる。
私が生まれた年の某地下鉄テロの記憶もまだ薄れてはいないし。
けれど、宗教=悪徳とか犯罪とか金儲け、というイメージもどうなのかと思う。

 

歴史の多くは様々な信仰に影響を受けてきた。振り回されたと言うべきシーンもあるだろう。
祈るために美しい神殿や彫像を作り上げたり、信じるものが違うと殺し合ったり、あの星が輝く頃に神は怒るから貢ぎ物を用意しようと考えたり、文化も政治も時には科学さえも宗教の影響を受けている。
多くの人が信じ、あるいは嫌がるもの。
その教えが正しいとか実体があるかとかは別として、知識を身に付けるのは悪いことではないはずだ。
宗教とはなぜそれだけ議論を呼ぶものたりえるのかを考えるためにも必要だと思う。
変な話、無神論だって神がいるって言う人がいるからこそ存在しうるんだし。

 

特にコーランを読んでみたい。
学校では仏教は日本史で、キリスト教は世界史でそれなりに扱うのに、イスラム教はあまり扱われなかったからだ。義務教育の世界史ってほぼ西洋史メインだし。一応喜捨とかほんと少しだけやったけど。
過激派による様々な事件のマイナスイメージもあるだろう。
でも信仰を大事にしつつ清く正しく生きている人もいる。
何も知らないのに嫌うことは簡単だし、私は嫌う嫌わない以前の次元でただ知りたい。

 

今、私は『ダルタニアン物語』(かの有名な三銃士の完訳)を読んでいるのだが、中世フランスは当然ゴリゴリのキリスト教文化圏なので登場人物たちの生活様式に密接に関わってくる。
しかも当時の貴族の嗜みがラテン文学であったこともあってラテン系神話や英雄伝、聖書の例えが頻出する。
さすがにアキレウスは知っているが、では彼が何をしたかとなるとアキレス腱のネタ以外知らなかったりする。アジャックス(アイアース)となるともうとっさには出てこない。
知識の浅さを恥じ入るばかりだ。電子辞書とインターネットに感謝しながら読み進めるしかない。

 

また、オタクとか中二病とか呼ばれる私のような人間にとって、ギリシャローマ神話はほぼ必修科目だろう。星座の瞬きを数えて恋を占うか、金ぴか鎧の戦士か、入口は人によって違うだろうけれど。
北欧神話もよくネーミングへの引用が多い。人物名はもちろん、武器の名前とか、地名もかなり。
やっぱり元ネタが分かった方が何かと愉快だ。
同じエクスカリバーでもその扱いを作品ごとに比べて、更に原典と比べる。そんな遊びを誰しもしたことがある……と私は信じている
宗教モノに対しても、私は同じ感覚を持っているのだ。

何せ日本はこんなお国柄なので、あらゆる宗教ワードが創作ネタに取り入れられている。
ゲームなどの海外ローカライズでネーミングやデザイン変更という話はよく聞く。それだけ、宗教とは日本では良くも悪くも気にされていない(厳密には忌避傾向があるので気にされていないない事にされている)存在なのだろう。気にされていない故に気軽にネタとなるのだ。
それが悪いとは言わないし、むしろ私は楽しいのでそういうのは好きである。
が、如何せん私は元ネタ調べが好きというか最早強迫的にそれを行ってしまうので、じゃあ宗教書の基本を押さえた方が早いな、と考えてしまう。
そして私の思考は宗教を特別タブー視したりしない。この辺驚くほどフラットだ。
単なる知識としてしか捉えていない。

 

でも、宗教の勉強って面白そうとか現実で言うと怖がられるので、
ここでこっそり書いておこうと思った次第である。

心理学調査・実験協力します

心理学等研究の実験・面接・インタビュー参加します。

高IQ群、自閉スペクトラム症アスペルガー障害)、いじめ経験者等の調査サンプルが欲しい研究者へご協力します。
目的は研究への貢献、人類の知識蓄積への寄与。
私みたいなのでもサンプルになるなら喜んで参加します。偏りが教科書通りなのでそれなりに便利なサンプルですよ。

目的

定型発達者とか正常IQとか「普通の人」、言葉を選ばないなら「健常群」のサンプルは集めやすいけどその反対って特に学部生には辛いところあるだろうし、それを理由に研究を諦めるのも勿体ないと思ったので。うつも発達障害も結構最近の研究の流行りだけど、取り扱うのってハードルが高いなと感じて。
せっかくの(?)変な人生を他の人に活かしてもらおうと思いました。
私は解離とImaginary Companionで卒論書いたけど、本当は確定診断受けた病的解離群との比較も欲しかったのだよ。でも学部生にはなかなか難しかったし……。「珍しい現象」をテーマにしたい人がいるなら協力したい。

簡単なデータ(2019年6月現在)

日本人女性23歳9か月、母国語日本語。

2019年3月に23歳5ヶ月で受けたWAIS-IVで全検査IQ124

各指標は言語理解139知覚推理116ワーキングメモリー109処理速度105
必要であれば下位項目もお知らせします。とりあえず最高最低は単語の得点は19/19点、絵の完成で9/19点。偏ってます。

AQ質問紙、生育歴などから自閉スペクトラム症の実質診断済。

小4~6のいじめなど諸々原因で現在気分変調症。これによる通院は2016年からであるが発症は2005~07年頃であろうとの診断。

また父親の生まれが少々特殊で、ぼかして言うと母性剥奪みたいな。故に家族関係もちょっと歪。家族心理学のデータにも活かせそうなところある。世代間伝達とかやりたい方は如何ですか。

特徴

  • 知識への好き嫌いが激しく興味の無いことは覚えられない(例:人の顔、歴史の年号)
  • 常識・倫理観は持っているが、こだわりは強く、社会の枠組みや一般的に信じられているルールも無意味と感じれば適応がしんどい(就活とか)
  • 適応出来なさ過ぎて2019年現在非正規雇用
  • 発想が時折突飛で周囲に笑われるので最近は黙ることにした
  • 心理士さんの見立てでは視覚優位……らしい

方法

各種メールやチャットツール、Skypeなども使えると思います。

近場なら直接面接も可能かと思います。

条件等

  • 公的な教育機関あるいは研究機関、それらと同等の機関に所属する方であること。
  • 営利目的の調査でないこと。
  • 実験倫理の遵守。個人の特定できないデータとして使用すること。年齢性別など一般的な症例に載せてるような情報は構いません。
  • おそらく心理学・福祉学・医学・教育学辺りになりそうですが研究ジャンルは不問です。
  • 生活状況などによりお受けできない時期もあります。

報酬

学生さん:特にいりません。あなたの卒論のお役に立てればそれで良いです。
その他研究者等:やっぱ特にいらないです。
どちらの場合も可能なら論文完成品など研究結果見せてください。発表会や学会があるなら近場で日程合えば行きたいです。
どうしても謝礼をって方は明治かロッテのマカダミアナッツチョコ一箱くらいくれたら喜びます。夏ならアイス券とか。一応、食べ物の好き嫌いはありません。

 

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青梅が頭にクリーンヒットすると結構痛い

今週のお題「雨の日の楽しみ方」

 

去る5月23日のことである。

梅シロップと梅酒を仕込んだ。 

 

まずは遡ること1年。つまり去年の初夏。

友人の家に実る梅を採り、それで人生初の梅シロップを作った。

それが友人やその友人に大好評だったのでまた来年もやろうぜ、梅酒もやってみたいなという話になった。

 

そして今年の5月22日。

梅狩りが決行された。

友人宅の梅の木はそこそこ高く、脚立を使っても届かない。

別に友人の家は農家とかではなく、特に収穫用のネットなどがある訳でもない。

そこで私達は庭の物干し竿を取り、ブルーシートを張り、枝をぶっ叩いて梅を落とすという女子力の欠片もないゴリラみたいな方法で梅を収穫した。

友人の方が身長があるので梅叩き係、私が回収係だが、降ってくる梅の実をきちんとキャッチするにはかなり勇気が要る。

来年こそヘルメットを用意すると決めた。

ゴリゴリに採れた梅は私の自宅に持ち帰った。クソ重かった。量ったら2.5kg。馬鹿か。

去年の収穫量は確か700gくらいだったはずだ。なんで急に3.5倍になったんだ。それは私と友人の欲の皮が張りすぎたんだと思う。

 

せっかく令和元年だし、ついでに年女であるので梅酒を仕込んで次の年女まで置いておけたらロマンだよなという話もしていた。

しかし2.5kgの梅を全部突っ込める瓶はあまり無いし、ホワイトリカーの必要量もエラいことになってしまう。半々で梅酒とシロップにすることにした。

っていうか梅の量が多すぎて慌てて瓶を買い足した。

 

梅の実を水に浸けて灰汁抜きをし、ヘタをひたすら取りまくる孤独な作業を終えたら夜中の1時近かった。

梅の実は水気をふき取ってビニール袋に放り込んで、冷凍庫に突っ込んで寝た。

 

 

そして冒頭の5月23日に戻ってくる。

バイトの面接から帰ってきた私は早速仕込みを始めた。

湯を沸かして果実酒瓶の消毒をする。

瓶が乾いたら瓶に冷凍梅を入れて、氷砂糖を入れて、それを交互に繰り返す。

酒の方は更にホワイトリカーを注ぐ。

 

 

こんな風になる。

 

 

さて、それから半月程経つと、梅シロップの方は完成になる。あまり長く漬けると傷んでしまうので梅の実を引き上げないといけない。

その作業をしたのが6月。雨が続く頃になってからだ。梅の雨とはよく言ったもんである。

(厳密には梅が熟す頃という意味らしいが)

 

発酵防止の為にシロップを鍋で火にかける。灰汁も掬う。

火を通し終わったら、熱湯消毒した手頃な瓶に注ぐ。今回は酒瓶が幾つか空いていたのでそれを使用。

f:id:kameno_ryo:20190614135924j:plain 

\ジャン/

ちなみにもう一つ小瓶がある。

トータルでざっと1リットルくらいだろうか。梅の実が1.2kgほどのはずなのでこんなもんだろう。

 

梅酒の方はもう3ヶ月は待たないといけないが、もう甘酸っぱい香りが漂っている。蓋を開けてはワクワクと香りを楽しんでいる。子供かよ。

年末恒例になっている友人3人での宅飲みに持っていけたらと思っている。

 

今はシロップから上げた梅の実が大量にあるので、どうしてやろうか雨の中で考えている。

去年はジャムにしたのだが、その時は1kgのジャムを生み出してしまった。今年全部ジャムにしたらさすがに量が多い気もする。

 

梅の実の処遇が決まったころには、雨も上がっているだろう。

中途半端な天才という生き方

時々、ネットで同志を探す。

大好きだけどマイナーなゲームタイトル。
ニュースや世論に対して思う不満。
時には苦手な英語を駆使してでも検索する。

それは最初に言った通り、数少ない同志の存在を確認したいからだ。
TwitterGoogle、完全一致、同義語に変更、色々な方法を使う。
そしてなかなか見つからない。寂しい。


「中途半端な天才」はつい最近探した言葉だ。
そして適切なものが見つからなかった。
だから私は、同じ言葉で探しているかもしれない世界のどこかの孤独な誰かの為にこの記事を書いている。


まず面倒くさいが天才という言葉について定義をしよう。あくまでこの記事上で、ということを留意してほしい。
以下、天才は“程度の差こそあれ、先天的に何らかの優れた能力(ここでは特に知力)を持つ人”とする。天が授けた才能、で天才だ。
秀才は「秀でた才能を持つ人」で、訓練で後天的に才能を得た人間も含む。
天才は秀才たり得るが、秀才は天才とは限らないということだ。
秀才は自らの訓練の結果なので望んで(あるいは親に塾などに通わされ、望まれて)得た力だが、天才は生まれつきなのでそうとは限らない。

それから、私の悩みは主に知能についてなので、芸術や運動の天才についてはここではあまり触れない。というかスポーツは死ぬほど苦手なんだよ

もちろん天からの才能を授かっても、適切な訓練や行動をしなければ何も実らせないだろう。
生き生きしている天才の多くは(それを努力と感じていないケースもあるが)何かしら訓練した人が多いと思う。その点でも現時点の私は中途半端だ。


本題だ。

 

1.微妙すぎる全検査IQ

私のIQは124だ。
これは一般人・一般社会に馴染めないという現象を引き起こし、知能検査の区分上は天才と言われるに十分な数値である。
しかし、では特別天才かというとまた微妙だ。

例として有名な高知能団体メンサは130から入会資格を得られる。足りない。だから私は入れない。
(でも言語理解のIQは139と基準を超えている。これが更にしんどさを生むのは言うまでもない。)


高知能団体などで似た者同士の友達が欲しいとも思う。しかしそれは叶わない。
一方で、普通の社会で苦痛を感じる日も多い。これは就職してから特に強く感じる。
IQ100の平均な人と130のメンサ入れるレベルの人がいたら、後者の方が私と近いんだよ。
でもどちらからも仲間外れだ。
素の自分で振る舞って、頭がおかしいくらいの扱いをされたこともある。
だから私は社会では口を閉ざす。良いアイデアを閃いても、それを受け入れてくれないことが圧倒的に多いからだ。それが酷いとか言うつもりはない。だってそれが世界の大多数だし、後からゆっくり考えたら確かに突飛なこと言ってるとは思うので。目の付け所がシャープ過ぎる。

 

2.偏りすぎている能力

言語理解のIQは139とだいぶ壊れ性能な私の脳みそだが、一方で苦手な分野においては一般人である。
しかもその苦手である処理速度という知能の側面は、どちらかと言えば作業・動作的なものなので、目で見てある程度分かる。普段の振る舞いに表れやすい。
反面、学力テストが頻繁に行われる学校という世界をを出てしまえば、知識面での優秀さはかなり意識的に発信しなければ周囲にはまず気づいてもらえない。そしてそれをやると大抵ウザいとか嫌味だとか思われがちだ。
だから可能な限り大人しくする。でも完全には隠せずたまにこぼす。見た目に分かりづらい思考そのものの重さとか厚さというものだけが強いと、周囲からはアンバランスな奴に見える。

「普段は鈍臭いのに突然何か言い出した。偉そうに」
「頭良いわりに基本的にポンコツだよね」

正直、どっちも思われたくない。
いじめの経験もあるし、アスペルガー障害もあるので対人能力に劣っているのは自覚している。何か事故ってもおたおたしてしまうので自力でリカバリをきかせられる自信はない。とにかく現状維持に気を使っている。この辺かなり神経質だ。考えすぎなのは知ってる。

とにかく言いたい意見も改善案も言えないのでストレスを溜め込んでいく。それに若造だし。
もっと何もかもがズバ抜けていれば発言が許されるだろうかと思ったりする。

 

知能の話ではなくなるが、運動能力も死ぬほど低い。体育の授業は通年週3であるのに、私みたいな奴が輝ける班での調べ学習やテスト期間なんかは年に数回しかない。特に小学校では体育が出来るか否かは人権問題だ。つらい。

 

世間一般の「天才」という言葉が指し示すもののイメージは、あらゆることに精通し才能を示すレオナルド・ダ・ヴィンチのようなタイプだと思う。
でも実際のところ、そんな万能人間はそうそう存在しない。普通の人々の多くに得意苦手の山と谷があるように、天才的なものを持つ人にも山と谷があることの方が多いはずだ。これは秀才でも同じである。
マンガのキャラででオール3の高橋さんとか逆個性って感じがするじゃないか。全能力値が均等なのって珍しいんだよ。きっと。

 

こんな風に「一般人にも天才にもなり切れない」あるいは(もしくは“かつ”)「全体の能力はそこまででもないけど一分野においてずば抜けた数値を記録してしまう」タイプの人間は一定数いると思う。

私は自分を「中途半端な天才」と名付けた。
ネタにするには低く、しかし社会の大多数には入れない知能指数

ドラマの天才設定のある主人公でIQ120台のキャラはおそらく存在しない。そのくらい124ってネタにならないと思ってほしい。
まあ200とかがほいほい存在する創作世界がクレイジーではあるんだが。
でも、クイズ番組で参加者の肩書きやキャッチコピーでネタになるのも低くて130、視聴者の目をしっかり引くには150は要るだろう。
だからマスコミでは一般的なビネー式の数値をキャッテル式に変換して載っけたりするのだが。キャッテル式換算なら私も138だ。わぁい天才。

150ある人なら引く手数多で逆に生きやすいよね!とかほざくつもりはない。
でも正直天才って羨ましいなあと思ってしまう。そこまであれば東大京大なんて設定も乗っかってくるし、何よりそれだけあれば世界の様々な話を理解できる。
私は知的好奇心こそ強いが、知りたいことを理解するには頭が足りないと悔しく思うことがある。(この辺は知能のバランスが偏ってるせいも多分ある)

私もGoogleくらいの企業に採用されないかな。いや適当に頭良さそうな社名挙げただけだから知らないやGoogleさんごめんなさい。


知能検査の結果をこうしてブログなどに書いている人もだいたい130は超えていることが多い。
これは日本で知能検査の存在感が薄く、よほど周囲から浮いてしまうとか不都合を感じた人しか受けないという事情もあるのだとは思う。
日本で知能検査受ける人=不都合発生レベルでぶっちぎっちゃった人、なのである。
だから私って大して高くねぇなと思うことがある。
ちゃんと(?)異常値なんだってば。

 

IQの高さからくる生きづらさと、そのくせ毒にも薬にもならない中途半端な高さとバランス。

そういう人間の為のサークルとか自助グループみたいなの欲しいな、と最近感じる亀野であります。もう設立するしか。

 

精神科の薬の調整はさながらカードデッキ構築

薬の苦労は精神科に限った話ではないけれど、こと精神科の薬というのは難解である。

 

その大変さは、M○Gとか遊○王みたいなカードゲームのデッキ構築に似ていると、Twitterで誰かが言っていた。
(リンクを貼りたかったが元ツイを見つけられなかった。)

 

理由は色々。

 

  • 治療薬の開発が進み切っていない。新薬がガンガン出る。
  • 新薬の方が効く人もそうでない人もいる。
  • 同じうつ病だとしても原因・症状が皆バラバラ。
  • 長期使用しがちなので耐性の問題もある。
  • 患者の環境によって病状が大きく変わることがある。その度にデッキ再構築。

 

こんな感じで、自分に合った薬を探すのが大変なのだ。

私も結構色々やってきている。
ここでは私の体験談を時系列に並べて、お薬デッキ構築はどういう作業なのかの例としたい。
あと備忘録も兼ねる。


【注意】
以下の記述はあくまでも「私にとっての最善」です。
人によって薬への感受性や体質は異なり、副作用も異なります。
この薬が悪い、という意図はありません。
気になることがあれば医師や薬剤師に必ず相談してください。
あと私は貧乏学生だったので使えるならジェネリック医薬品。その場合カッコ内に先発名。
ただし字数が少なくて済むので本文中は先発名。

 

2016年12月上旬 通院開始(大学3年冬)


ゾルピデム酒石酸塩(マイスリー)5mg
ロフラゼプ酸エチル(メイラックス)2mg

当時の症状は「寝つきの悪さ」と「強いストレスからの異常行動」だったので。
最初だし緩めの薬で様子を見る。
マイスリーは短時間型の睡眠薬入眠困難に使われるもの。
パキっと効いてパキっと抜ける。
私は寝つきが悪く酷いと明け方まで寝付けないものの、一度眠れば中途覚醒は無かったのでこんな処方だった。
薬にも慣れていないし半月分。


2016年12月下旬


ゾルピデム酒石酸塩(マイスリー)10mg
ロフラゼプ酸エチル(メイラックス)2mg

半月後。マイスリーを増量。
寝つきがなかなか改善されてなかった。


2017年1月


薬の内容は変わらず。
慣れてきたのでここからは異常無ければ1ヶ月に1度の通院になる。


2017年3月


ゾルピデム酒石酸塩(マイスリー)10mg
ロフラゼプ酸エチル(メイラックス)2mg
エチゾラムデパス)1mg 10回分

家庭環境が荒れ模様だったりで不安定な日が多く、頓服薬としてデパスが出た。
極度のストレスが発生した時に飲む「パッと効いてくれる抗不安薬」といったところ。


2017年4月(大学4年)


ゾルピデム酒石酸塩(マイスリー)10mg
レメロン15mg
ロフラゼプ酸エチル(メイラックス)2mg
エチゾラムデパス)1mg 10回分

ストレスが全く改善しない。
鬱が酷くて抗不安薬メイラックスでは弱すぎると中止。
そして抗うつ薬のレメロンという比較的新しい薬を試すことに。
ジェネリックが無くて高かった。当時はしんどかったよ……。
「レメロンは良い薬だけど、女の人は体重増加を嫌がるんだよね」とは主治医の談。
しかし、ストレスのあまりに前年度より痩せて学校の健康診断に引っかかった私としてはまあ良いかなということになった。

レメロンはなかなか有用だったが、初日3日は死ぬほど眠く、授業が大変だった。
この眠気は3日を越えると楽になる人が多いらしい。不思議。
頑張って慣れるしかないとはいえ、授業や仕事がある人は周りの理解も必要だと思う。
私はこの頃大学に配慮願を提出し、病気や副作用による急な体調不良に備えていた。
使える制度は使い倒そう。


2017年6月


レメロン15mg
エビリファイ3mg

色々限界に達して精神が死にかけていたため、薬デッキを大幅に変更。
エビリファイって抗精神病薬のイメージが強くて、低用量だとうつ病にも適応があることをこの時初めて知った。


2017年7月


レメロン30mg
ゾルピデム酒石酸塩(マイスリー)5mg
クロチアゼパム(リーゼ)5mg
エチゾラムデパス)1mg

エビリファイが身体に合わなさ過ぎてもう再構築。
吐き気、眩暈、動悸、代表的な副作用は全部出た。
こんなこともある……。
構成を4月のものに戻し、レメロンを増量、マイスリーは減量。
レメロンは高い(2回目)。しかも倍になったので更に高い。
ありがとう自立支援医療制度。

また、授業中に眠さが出ると困るとの訴えから頓服を2種類状況に応じて使い分けることに。
リーゼは効果が弱めだが副作用も弱い。あまり眠くならない。
デパスは良くも悪くも強め。家庭内の喧嘩の直後など、眠っても困らない状況で使用した。


2017年9月


構成は変わらないが多少精神安定の兆しが見えたため、
頓服をあまり使わず余した翌月はそれを主治医に報告し、残りを使い続けていた。


2018年1月


落ち着いてきたのと、体重がだいぶ増えたのでレメロンが30→15mgになった。
ちなみに体重は
4月:47kg
1月:57kg
10kgはさすがに増えすぎた。身長156だし。
急激な体重変化で肉割れ、俗に言う妊娠線が出来た。妊娠してないってば。
個人的な感想として、レメロンって食欲が増える。
鬱で食欲が減ってしまった時にはむしろありがたいんだけど、増えすぎて別の病気になるのも問題だよね。という。


2018年3月


ゾルピデム酒石酸塩(マイスリー)5mg
レクサプロ10mg
エチゾラムデパス)頓服1mg

就活などにより対人不安の症状による不都合がより顕在化。
それにより対人不安により効きやすいレクサプロが処方された。
SSRIという新薬である。ジェネリックが無い。

そしてレクサプロとの相性の関係で慣れ親しんだレメロンさんとお別れすることに。
当時の私はこれが滅茶苦茶不安だった。
過去にエビリファイが非常に合わなかったという経験もあり、また辛い副作用が出たら嫌だなという気持ちでいっぱいだった。

一般にレクサプロは胃腸症状が出やすいと言われる。
開始2週間は軽い吐き気やら食欲減退(これはレメロンで増えてた食欲が戻った分もあると思う)でちょっとげんなりしたが、慣れてくるとかなり楽になった。
社交場面も前より苦痛ではなくなった。


2018年6月(大学卒業してる初夏)


レクサプロを20mgに増量。
この頃には体重は52kg程に落ち着いた。良かっただいたい元通り。
ストレス痩せ→体重増加→元通りという動きのせいでやっぱり肉が割れる。
体重変化そのものはそこまでではないけど、短期間の落差の問題である……。


2018年12月


頓服のデパスアルプラゾラム(コンスタン)0.4mgに変更。
そしていつも頓服は10回分だけ貰っていたのを30日分に増量。
これはこの頃に就職出来ないストレスでキリキリしていたこと、
またレクサプロが切れかかる時間帯に身体のしびれが出ていたためによる。
しびれに不安を抱えて尚更酷くなるし。
デパスより長めに効く薬として選択。
ってかレクサプロの半減時間そんな短くないはずなんだけど。個人差もあるから仕方ない。


そして新時代へ……
(そして伝説へ……のノリ)

 

 

以上。
たった2年間でこんなにもお薬デッキをカスタマイズしているのである。
細かく考えて下さる主治医には頭が上がらない。
ってか主治医めっちゃ良い人です。

大学内でのストレス、家庭内、就活。
たった2年でも状況は変わる。
とにかく死なないように気持ちを持ち上げなくてはならない時と、
特定の不安が強すぎて不適応を起こし、それへ特化して対処しなければならない時がある。

そして精神科の薬は性質上、長期服用になりがちだ。
耐性が出来てしまうことがある。
その時は増量するなり、似たような効き目で作用機序の異なる薬を持って来なければならない。
(もちろん、薬以外の治療や環境調整も必要だ。)

そして1つの薬を変えると、相性の問題で他の薬も変えなければならなかったりする。
どんなに慣れ親しんだ頼もしい薬も、他との相性故に中止になることもある。
そうするとやはり、飲み始めの副作用に泣かされることもある。
私にとってのレクサプロがまさしくそれだ。今もお世話になっているが、最初は吐き気が辛かった。


そんな訳で精神科の薬物療法は環境に合わせ、時の流れに合わせ、構築を繰り返すことになる。
まるでカードデッキとはよく言ったものだと思う。

 

ぶっちゃけ平成から令和の「そして新時代へ……」が言いたくて書いた記事でした。