亀野の言葉を選ばない雑記帳

かめのが徒然書くところです。真面目なことからパッパラエピソードまで。

自分の知能検査の結果を読み解いてみる

 

※この記事は参考として幾つかの過去記事や他サイトのリンクを貼っている。
可能な限りこれだけ読んでも誰にでも分かるように作るが、どうしても専門用語が出てきてしまうのと、私がどのような特性を持つ人物で、何を問題として検査を受けたかを分かっていた方が理解度が上がるからである。でも全部読むと長い。ごめんなさい。

 

先日受けたウェクスラー知能検査の結果が出た。


この記事の目的は主に3つだ。

  • WAIS-IVの日本語版は出て間もなくあまり記事にしている当事者がいないため、ネットの海への情報蓄積
  • 知能検査というものの読み方をしょぼいなりに紹介し、誤解を解く
  • 私の感想まとめ


臨床心理学を専攻し、一応大学院を目指す者として、知能検査への正しい認識を皆様に広めたいと考えている。
それにより発達障害をはじめとする障害者への正しい理解も深まり、私が生きやすくなる!!ヤッタネ!!!

以上、お付き合いいただければ幸いである。 

 

kameno-ryo.hatenablog.jp

 

知能検査を受けた経緯は過去の記事を参照。
アスペルガー障害を筆頭に、発達障害の可能性を薄々感じていた、ということが分かればだいたい合ってる。

 

医師から貰った結果説明書の検査目的には
「本検査は、知能査定を目的とするものではなく、問題解決能力やその際のいつものパターン、集中力や諦めやすさの度合いを見ること、また能力的に顕著なばらつきがあるか否かを確認し、適応力を検討することを目的に実施しました。」
とあった。

 

WAIS-IV

WAIS自体は有名な検査であるが、その最新第4版では下位尺度が変更されて「言語性IQ」「動作性IQ」の数値が出なくなった。

その為従来式の知識だとちょっと読みづらい。
代わりに出るのが「言語理解」「知覚推理」「ワーキングメモリー」「処理速度」の4つの尺度である。
この4つについては以下の記事が分かりやすい。
発達障害者支援を専門にされている企業様の記事である。

大人の知能検査WAISを読み解く : 診断・特性 - 株式会社Kaien


ざっくり言うと
言語理解=語彙力、知識を積み重ねる力、及びそれを適切に使う力
知覚推理=目の前の課題を考える力、ひらめき
ワーキングメモリー=短期記憶能力、情報の整理能力
処理速度=機械的な作業を正確にこなす速度

である。用語上は言語理解と言ってもイコールで国語能力という訳でもない。この辺説明が難しいな……

ワーキングメモリーと対にして長期記憶と言うとちょっと分かりやすいかもしれない。


さて、ここからは私の数値を読み解いてみよう。


かめののWAIS-IV結果

全検査IQ 124
言語理解 139
知覚推理 116
ワーキングメモリー 109
処理速度 105

グラフにするとこう。
突貫で作ったけど、青線が私の成績、赤破線が平均の100。

緑の点が全検査IQ(124)だ。

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スゲー偏ってる(笑)
いくつか心理士さんの所見を引用しながら解説しましょうかね。


まず全検査IQは一般にIQと言われる数字。芸能人のIQとかで話題になるのもこれ。
つまり、全体的な知能。

平均は100。
そして±30が統計上の正常範囲であり、例えば100-30で70を下回ると知的障害のボーダーラインとなる。
反対に100+30の130で天才的と言われる値。噂程度だがメンサのボーダーだと言われたりする。更に噂で東大生の平均は120だとかなんとか、まあネタ半分に聞いといてほしい。

この100±30の範囲に、約95%の人間が含まれるようになっている。
普通でない、という意味では低いのも高いのも異常値ではある。上位下位2.5%を
外れ値なんて呼び方をする。

詳しくは「正規分布 SD15」「正規分布 2SD」あたりの用語でおググりください。


で、更に分かりやすくするために出た数値を10刻みで分類していく方法もあるようだ。(今回の結果用紙には10刻み分類も載っていたのだ)
これだと±20を正常値としている。例えば100-20の80は法律上知的障害にならないことが多いのだが(診断は-30で70前後が目安)、じゃあ80でそのまま生きていけるかといえば不都合も多いだろう。工夫がいる。いわゆるグレーゾーンの概念である。

私は124なので、高い方である。superior rangeと書いてあった。
(superior=優れた、上位の)
高すぎるという意味では異常範囲である。
しかし一般に、そしてこれは知能以外でも言えることだが、足りなすぎることは障害とされるが多すぎる分には障害扱いにならないことが多い。
生きづらさはあるが。


下位尺度の読み方も全検査IQと変わらない。±10ずつで分類する。
つまり、言語理解はかなり高く、知覚推理もまあまあ高いが、ワーキングメモリーと処理速度は平均的ということである。

ここで注目すべきというかまず目がいくだろうところが139の言語理解である。
見たとき私はフリーズした。アホみたいに高い。
先ほど±20までが正常値と言ったが、±30はメンサだし、±40行くととんでもない才能の持ち主である。

IQ130以上は“very superior range”となり、かなり優れた知能となる。
それを考えるとほぼ+40の139とはぶっちぎりの数値だ。
さすが昔から模試で国語だけ東大レベルとか言われてただけある。
言語だけならメンサ余裕で入れるじゃん。
先述の通り言語理解はいわゆる「学校でのお勉強能力」につながりやすい。学者向きとさんざん言われてきたもんなぁ……。

次、116の知覚推理もそれなりに高い。平均からは逸脱しているがまあギリ正常というところ。


ここからがある意味本題だ。
109のワーキングメモリー、105の処理速度。
これらはとても平均である。多少優れてるけど平均である。

平均である……これが問題なのだ。


一般的な社会においてIQというのはクイズ番組の流行などからか、
なんとなく他者比での高い低いのみが比較される。
某芸能人は130超えてる天才!さすが他の回答者とは違うね!みたいな。
しかも取りざたされるのは大抵全検査IQのみで、下位尺度は話題にならない。
大掛かりな検査受けないと出ないから当然ではあるけど。

でも、知能検査を受ける時に気にするべきは数値の絶対値ではなく、
そして他者との比較でもなく、
「自分の中の得手不得手」の開きがあるかということである。
私の場合、天才的な言語理解能力に比べてみればワーキングメモリーと処理速度は著しく低いと言える。
心理士さんの所見はこう。


「言語的な能力が非常に高い分、そのレベルで他の能力も求められてしまうため、その期待に応えようと無理をしてエネルギー切れを起こす可能性があり、それが不適応を引き起こすことがあり得ます。」


つまり、出来の良い言語能力が目立ち、絶対値で言えば平均的なワーキングメモリーと処理速度は相対的に低く見えるので
「亀野さんは言語知能は高いのに、なんで他のことは出来ないの?」

もっと身近にあり得る言い方なら
「亀野さんって頭の出来は良いみたいなのに、なんでそんなにドン臭いの?」
ということが起きがちなのである。

親に「頭でっかち」と言われるのはこれの典型例ですね。

 

例えば、電話番号を口頭で教えてもらってから電話をかけに行くのが苦手である。
耳で番号を聞いて、それを保持しつつ電話機の場所まで歩き、入力する……この作業は典型的なワーキングメモリーの出番である。
そしてそれが私はそこまで得意ではない。
口頭での言いつけもすぐに忘れる。今まで何度もそれで叱られてきた。

これが極端な話、全部の能力が平均的か、あるいは低いくらいなら、周囲も「まああいつだしな」で諦めてくれる部分がある。
しかし、なまじ部分的に出来が良いので
「こいつ出来る時と出来ない時の差がおかしい。サボってるんじゃないか?」

「やりたいことだけ元気な奴だね憎たらしい」
という勘違いが起こる。

実際は場面ごとに要求される能力が異なり、私の得意分野で処理出来るかそうでないかという話で常に私は全力投球なのだが、普通そんなこと考える人は(残念ながら)少ない。普通の人、定型発達の人はどれもそれなりに平均的に出来るのが当然だから。
そして、自分でも「自分は気合いややる気が足りないのかも」と思ったりする。
それがストレスの引き金になりやすいという話なのである。


このような話や言い方をすると、自慢のように聞こえるとか、出来ることがあるだけいいじゃないかという声もあるだろう。
しかし、ここは「言葉を選ばない雑記帳」なので、謙遜とか婉曲表現とかは抜きにして、端的に分かりやすさを優先に書くことにしているのでご容赦頂きたい。
変な意図は全く無い。
自分の数値を出しているのも、手頃な解説サンプルとしてである。
ってか教科書通りすぎる偏り方しててサンプルとして最高なのである。生きづらさも最高だ。


本題に戻ろう。
WAISは単に採点するだけのテストではなく、答える時の態度、間違いの頻度なども記録している。
それら全てを受けて上述の得点の他にも以下のような結果が出された。

  • 社会的常識や規則、倫理や道徳は身についている
  • 知的好奇心の幅は広く学ぶことに貪欲
  • 言語の連想力や流暢さに優れている
  • 集中力や注意力に恵まれている
  • 聴覚情報より視覚情報の方が得意
  • 聴覚情報処理は複雑になると集中が乱れる
  • 全体的な能力は平均~平均以上だがバラつきが激しい


なるほどわかる。

納得がいく昔話を一つ。

中学生の頃、英単語の練習に意味を見出せずイライラしていた。
私は教科書や単語帳を「目で見て」覚えるタイプだった。よく読むことで覚えていた。
しかし、新出単語の度に必ずやらされる「書き取り」。

最低でも5回は繰り返し書かねばならず、これを教科担任に提出する。
だが、私は書くのが嫌だった。何度も何度も書いてる暇があるならその時間、教科書を何度も何度も「読む」ことに当てたかった。

appleapple……、えーと、app……le、アップ……ルと書く時間に、
appleappleappleappleappleappleappleappleappleappleapple!!!くらいは読める。
その方が効率も覚えも良いのにと思っていた。
無駄な作業をさせるなよと内心思っていたが、提出は必須で成績にも響くので仕方ない。
英語に限らず「手で書いた方が覚えるよ」と言われるシーンは多く、その度に「でも私は読む方が楽なんだ」と答えるのが面倒だった。
だって皆「それでも書いた方が覚えるんだって!」としつこく勧めてくるから。
大学の受験勉強もノートは使っていない。書くのに疲れるからだ。


これはおそらく、私の言語理解能力と処理速度の大きな開きから生まれた葛藤である。
IQ139による言語理解で英語を読んだり暗記したり理解する速度が、IQ105の処理速度を使って単語を繰り返し書くという機械的な作業より速すぎたのだ。


俗説だがIQが20異なると会話や思考が噛み合わないという話がある。
これを信じるなら、私の言語理解能力はその他の能力と噛み合っていない。
他が悪いのではない。奴が高すぎるのだ。
二番手116の知覚推理でさえ、139の言語理解とは23の差が発生する。
処理速度に至っては34も差がある。
私という一個人の中で、一つの能力と他の能力が分かり合えていないのである。

また俗説を引っ張り出すなら私の中には東大生と凡人が同居していて、一般人は東大生の足を引っ張り、東大生はそんな一般人にイライラしている。
面倒くさいな。ガンダムじゃないけどもっと対話しろよ。


このような分析をするのが、知能検査の真骨頂である。
面白いね!私はこういう考え事や、それをこのように文章に書き出すのが大好きだ。
まぁ好きかどうかはともかくとして、私の能力のアンバランスさやそれによって起こるしんどさ。
これらが知能指数によって、単なる私の「しんどい」とか「こういう経験が」という語り(ナラティブ)だけでなく、多少は科学的に捉えられただろう。

 


テストバッテリー

他の検査も合わせて受験している。
私の性格、思考パターン、自閉傾向についてetc.

こだわりの強い思考、
良くも悪くも強すぎる自己理想像、そこからもたらされる葛藤と人生への原動力
劣等感や後悔の目立つ自由記述
興味さえあればとことん究められるがそうでなければ全く持てないという偏った興味関心


そして諸々をトータルして出された結論の一つはこうだ。


自閉症スペクトラム障害が存在する可能性は十分に考えられます。」


この言葉は、実質確定診断のようなものだ。

もし私が「障害者手帳必要になったので診断書出してください」と主治医に言えば、主治医は出してくれるだろう。気分障害併発してるし。
しかし診断書を正式に出すには数千円のお金、そして時間がかかる。
現時点、金と時間を割いてまで診断書を書くメリットが無いのだ。
だから出さなかった。それだけ。
もしかしたら今後、障害者雇用枠を使いたいとかあったら取るかもしれない。


私は自閉症スペクトラム障害、いわゆるアスペルガー障害であったのだ。10年以上察してたから驚かないけど。
中学の担任が「そういった子も含めて色々なお子さんを見てきました。亀野さんは大丈夫ですよ」って親に言ったのは何だったのかとも思うが、
それは心理士さんの


「全体的な知的能力を平均以上有していることから、その能力の高さでなんとか社会生活を乗り越えることが出来ていたと考えられます」


というコメントが全てである。

特に学校という場所はちょっと変わり者でも、勉強が出来て(むしろ少しくらい出来なくても)、生活態度が良ければそれだけで「優等生」になれる。
私は典型的優等生だった。くそ真面目に制服をきっちり着ていたし、学問も凸凹はあっても中学時代は概ね問題なかった。
だから学校の先生的には「良い生徒」だったのである。
生徒に流行の制服の着方が許せなくても、短いスカートが嫌いで皆に合わせられなくても、真面目な自分をしっかり持っている子という認識で済む。
要するに、先生や親といった大人から見て厄介な方へ変わっているのでなければ問題視されない。
非行をするタイプの病気や障害なら早期発見や治療が大事にされるが、そうでなければスルーされがちだ。


しかし、一般社会に出るとそうもいかない。
なんでも広く「それなり」には出来ることが求められるし、
多くの人間の中に馴染める力が求められ、
時には柔軟に周囲に合わせる能力が必要だ。 

私は
尖った能力はあるけどその分出来ないことがあり、
一般人からは浮いてしまう視点と思考の持ち主で、
こだわりが強く、それを曲げることが難しい。

 

ってか疲れるんだよ。出来ないものを誤魔化すために使える能力をフル稼働どころか300%で常に回し続けているのだからオーバーヒートもいいとこだ。


私のような人間が無対策で一般企業の事務とか営業とかに就くとトラブルやストレスの元になるし、仕事自体は出来ても人間社会というものに上手く馴染めなかったりする。
実際、自分の信念へのこだわり故に辞めたことがある。原因が特殊だしこれを良い悪いで考えるのは難しいが、無収入期間もできてしまったし余計な苦労は背負った。


こういった問題を全て障害のせいにするのは卑怯だろうし、そこまで思ってはいないが、
科学的・医学的・心理学的にこのような結果が出たことに、少しホッとしている。

 

以下、感想

※ここからはただの感想です。
今まで以上に科学も心理学も専門話も無いので、興味が無ければ読まなくてもいいところです。


最初の感想は「なんだ思ったより低い」「MENSA入れねー残念じゃ~ん」だった。

というのも、私の小学校からの旧友がIQ127だし、その旧友の知り合いが130とか140って人がごろごろいらっしゃるものだから、思いの外低いじゃねーかと思ってしまったのである。
冷静に一晩寝てから「いやそんなこと言ったら怒られそうだな」と思い直した。
124でも特異な数値ではあるし、活かせれば強みだがそうでなければ生きづらい。

類友的なバイアスがかかって、私(正確には127の友人)の周りにそういう人が集まりやすいだけなんだと思う。

あとMENSA入りたかった。
ステータスには興味は無い。単純に自分と似たような傾向の人が集まる場所に行ってみたかったのだ。
入会テストが私の苦手ジャンル(図形からのパターン推理とか)が多いと聞くので、言語で高得点を出して苦手の穴を埋め、知能検査結果で入会したかったのである。
埋めきれない穴だった。


学習障害が無かったのは意外だったかもしれない。
数学は万年赤点だし、算数ならそれなりに出来るのだが、未だに暗算が苦手なのでちょっと気にしていたので。
これについての説明はつかないでもない。
これは計算能力よりワーキングメモリーの問題と見なされたのかもしれない。繰り上がりを記憶しつつ上のケタの計算が出来ないという話。
あとはやはりある意味病的に高すぎる言語と比較したらどうしても算数能力が低いので、私自身国語と同水準を求めてしまうのだろう。算数が低いのではなく国語が高すぎる。
「一応死なない程度には出来てることにして気にしない」のが一番の対策なのだ。

数学の偏差値9.8事件も、国語能力で数学の穴を埋めて無理矢理進学校に入ったようなものだから、
大多数の「全体的にそれなりに出来る人」から算出された学内平均値からは外れた値が出ることになる。


心理士さん曰く、「向いてそうな職業は大学教授」とのことだった。
これは大学時代にゼミの担任にも言われていた。
ってか知人全員に言われる。
別に教授というものを悪く言うわけではないが、それだけ私には学問バカの傾向があるらしいよ。

得意なことを主に一人で、黙々と延々と出来ることとなると研究者になるということか。

 

変人でも生きていける場所を探そう。と決意した。

はあ、研究室に引きこもりたい。

 

2021/7/23 文面を読みやすいように多少改訂しました