亀野の言葉を選ばない雑記帳

かめのが徒然書くところです。真面目なことからパッパラエピソードまで。

宗教学習は面白いと思うんだけどな

中学か高校くらいの冬、クリスマスを何も知らずに祝うのは愚かではないかと思い立った。唐突に。
幸い近所の図書館には旧約・新約聖書を読みやすく小説の形に書き下したものが置いてあった。
早速借りた。その年のクリスマスは気のせいか安心して迎えられた。

 

 

はじめに、
私は神の類は信じていない。
と言っても熱心な無神論者でもない。
強いて言うなら不可知論者といったところ。
その上で、宗教を学ぶのが好きである。


一番の理由は、教養として面白いから。
例えば聖書の知識は、欧米のドラマや映画、小説、及び西洋モチーフの作品において明喩暗喩引用……多く扱われる。知っている方が圧倒的に楽しめる
もしあなたがどんなに無宗教だろうが、古くからキリスト教文化が根付いている地域があるのは事実だ。しかも千年単位で

もちろんキリスト教に限らない。
キリスト教と合わせて世界の三大宗教と呼ばれる仏教・イスラム教にもそろそろ手を出したいと思っている。
読みやすいものを見つけるのに苦労しそうだが。

日本では宗教はタブー視されがちだ。下手したら特に信仰をしていなくても、宗教に興味を持っているなんて言っただけでも気味悪がられる。
私が生まれた年の某地下鉄テロの記憶もまだ薄れてはいないし。
けれど、宗教=悪徳とか犯罪とか金儲け、というイメージもどうなのかと思う。

 

歴史の多くは様々な信仰に影響を受けてきた。振り回されたと言うべきシーンもあるだろう。
祈るために美しい神殿や彫像を作り上げたり、信じるものが違うと殺し合ったり、あの星が輝く頃に神は怒るから貢ぎ物を用意しようと考えたり、文化も政治も時には科学さえも宗教の影響を受けている。
多くの人が信じ、あるいは嫌がるもの。
その教えが正しいとか実体があるかとかは別として、知識を身に付けるのは悪いことではないはずだ。
宗教とはなぜそれだけ議論を呼ぶものたりえるのかを考えるためにも必要だと思う。
変な話、無神論だって神がいるって言う人がいるからこそ存在しうるんだし。

 

特にコーランを読んでみたい。
学校では仏教は日本史で、キリスト教は世界史でそれなりに扱うのに、イスラム教はあまり扱われなかったからだ。義務教育の世界史ってほぼ西洋史メインだし。一応喜捨とかほんと少しだけやったけど。
過激派による様々な事件のマイナスイメージもあるだろう。
でも信仰を大事にしつつ清く正しく生きている人もいる。
何も知らないのに嫌うことは簡単だし、私は嫌う嫌わない以前の次元でただ知りたい。

 

今、私は『ダルタニアン物語』(かの有名な三銃士の完訳)を読んでいるのだが、中世フランスは当然ゴリゴリのキリスト教文化圏なので登場人物たちの生活様式に密接に関わってくる。
しかも当時の貴族の嗜みがラテン文学であったこともあってラテン系神話や英雄伝、聖書の例えが頻出する。
さすがにアキレウスは知っているが、では彼が何をしたかとなるとアキレス腱のネタ以外知らなかったりする。アジャックス(アイアース)となるともうとっさには出てこない。
知識の浅さを恥じ入るばかりだ。電子辞書とインターネットに感謝しながら読み進めるしかない。

 

また、オタクとか中二病とか呼ばれる私のような人間にとって、ギリシャローマ神話はほぼ必修科目だろう。星座の瞬きを数えて恋を占うか、金ぴか鎧の戦士か、入口は人によって違うだろうけれど。
北欧神話もよくネーミングへの引用が多い。人物名はもちろん、武器の名前とか、地名もかなり。
やっぱり元ネタが分かった方が何かと愉快だ。
同じエクスカリバーでもその扱いを作品ごとに比べて、更に原典と比べる。そんな遊びを誰しもしたことがある……と私は信じている
宗教モノに対しても、私は同じ感覚を持っているのだ。

何せ日本はこんなお国柄なので、あらゆる宗教ワードが創作ネタに取り入れられている。
ゲームなどの海外ローカライズでネーミングやデザイン変更という話はよく聞く。それだけ、宗教とは日本では良くも悪くも気にされていない(厳密には忌避傾向があるので気にされていないない事にされている)存在なのだろう。気にされていない故に気軽にネタとなるのだ。
それが悪いとは言わないし、むしろ私は楽しいのでそういうのは好きである。
が、如何せん私は元ネタ調べが好きというか最早強迫的にそれを行ってしまうので、じゃあ宗教書の基本を押さえた方が早いな、と考えてしまう。
そして私の思考は宗教を特別タブー視したりしない。この辺驚くほどフラットだ。
単なる知識としてしか捉えていない。

 

でも、宗教の勉強って面白そうとか現実で言うと怖がられるので、
ここでこっそり書いておこうと思った次第である。