亀野の言葉を選ばない雑記帳

かめのが徒然書くところです。真面目なことからパッパラエピソードまで。

私を揺るがす「性の在り方」について

 

kameno-ryo.hatenablog.jp

 

1年と10ヶ月くらい前にこんな記事を書いた。今日はその発展形だ。

 

自分の性について悩むことは過去数回あった。
高校の制服のスカートとか。(亀野の高校は女子スラックスがあってそれを希望したが母親の猛反対に遭って叶わなかった)
化粧へ興味を持てない自分とか。(これは鬱で身だしなみを気にしてられなかったのも大きく、今は多少興味はあるし化粧品を集めるのは好き)
恋愛と性交渉への世間一般のイメージと自分のイメージの乖離とか。


ノンバイナリー、かつアセクシャルなのではないかと思うようになったのは25歳にもなってからだ。
概念そのものは知っていたがまさか自分がとは思ったこともなく、正直今も揺らぎ、手探りで自分探しをしている真っ最中。
そんな中でよく考え(ては答えなぞ出ないのでぐるぐる疲弊するまで同じことを考え)ることについて、羅列していこうと思う。
書き出すことで頭から追い出せるというか、そういうタイプなんだよね。安心して忘れられるというか、必要になればこの記事を読み返しに来て考えればいいと思えるから。
お付き合い頂けるなら、世間にはこんなタイプの人間もいま~すという感じで読んでほしい。


あ、一応注意書きするが性を取り上げるので多少性的な話も出てくるが、面白おかしく書いてるつもりはないし特に18歳以下は読むなとは言わないけど苦手な人は読まんといてね。

 

 

【社会に馴染めない(いつもの)】

明確に「私は女じゃない!」「女物の服は嫌だ!」という感じではない。
私は一般的に世間に流れている性別二元論がよく分からない。そもそものバイナリー(二元論)とやらを理解しないので私自身も自分がどちらかという意識が希薄なのだ。うんやっぱりノンバイナリーだな。Xジェンダーも意味は一緒なんだが私はノンバイナリーの方がしっくりくる。
私の中では化粧するから女(=行動によって性別を規定する)とも思わないし、女性が好きだから男だ(=他者との関係性から自己認識をする)とも思わないのだ。異性の友達はあり得ないという議論も好かない。友達選びに性別意識するか?
私は性別違和というよりは、社会構造が分からん人間なのかもしれない。 

 

【女体であることは否定しようのない事実である】

これはほんとそれ。一番わかりやすいところで毎月生理は来る。風呂に入れば胸も出ているし、当然男性器も無い。
どうあがいても非力。しゃーない。
自分が「女性」であるかは未だに悩ましいが、とにかく女体持ちでありXX染色体を持っているのは事実だ。
見た目女性だし、社会的にも女性として振舞っている。履歴書も女に丸をする。特別不快というほどでもないが、あーだこーだ言うのは面倒だし、そういうことにしといてやるよってくらいの。
幸いというかなんというか、一時世間を騒がせたトイレ問題には困ったことはない。女子トイレに行くことに一切の違和感はない。それは単純に25年間そう育ったからかもしれないが。
サニタリーケースの問題もあるし女子トイレ以外を使うことはこれからもないだろう。
(余談だが大昔とある男所帯の会社に入った時、女子トイレはあるもののサニタリーケースが無くて苦労したことがある。言い出すのも恥ずかしく自分でジップロックを用意して持ち帰っていた)

服は……最近は気に入っているブランドがある。ゆるカジュアルを売りにしていて、お洒落ながら体型を出さない服が多い。着るとお尻の丸さや脚のラインを出さずにストンとした印象になる。主にレディースのブランドだが、女体隠しとして有用で愛用している。
それか、昔からやっている「適当なストレートジーンズ+Tシャツ+チェックのネルシャツ」という量産オタクファッション。これも男女兼用、というか実際弟とコーデがよく被る。
女装もしたいし男装もしたい、がいつかの夢。


異性愛?同性愛?】

私の性自認はどこでもない。どっちでもいい、の方がより正確か。
恋愛感情はある。性愛を人に向けないというだけで。ロマンティック・アセクシャルというやつである。
ここで発生する大問題が、「異性愛」という言葉も「同性愛」という言葉も、性自認がない人間には使いづらいというお話である。
女体であるから男性に恋愛感情向けたら異性愛なのか???それでいいのか????悩みは絶えない。
一応性自認関わらず「性愛対象が男性」をマセクシャル、「性愛対象が女性」をウーマセクシュアルと呼ぶらしいのだが馴染みがなさすぎる。
ついでに言うと、おこがましい想定だがもし私を好いてくれた人が出来たとして、その人は私をどのように観測するんだ??とかなんとか。女性として社会生きてるからそういう体で来るんだろうか。
まあ当面予定も無いから考えるだけ疲れるな!やーめよっと(床に大の字で寝そべる)


【性欲はあるのか?】

お答えすれば、ある。欲というか、世間一般と少し性質が異なるので私は便宜上「性衝動」と呼んでいる。
25歳というのは、妊娠出産子育てとしては適齢期も適齢期な訳で、私の生物である部分が鎌首をもたげる瞬間があるのである。それもわかりやすく生理1週間前あたりが一番酷い。
※詳しくはおググり頂きたいが、生理というのは受精卵のベッドたる子宮内壁に栄養をため込む→使用する気配が無いので用意したベッドを捨てる、という仕組みである。その為、子宮内壁が最も分厚くなる時期=妊娠しやすい時期というのは本能的に性欲が高まるようになっている。

そのたびに具合が悪くなる。他者に性的魅力を感じないのに、衝動だけがある。自分は嫌だと思うものがそこにあるのがどれだけ不快かというのは言葉にしづらい。

www.cosmopolitan.com

 

www.buzzfeed.com

この感情についてはこの辺の記事を読んで多少救われた。
同じような「衝動」を抱えるアセクシャルの人は一定数いるようである。


【どうなりたいの?という疑問が私を揺るがす】

詳細は方々の名誉の為にも伏せていくが、こんな私だが人に好意を向けたこともある。
それを友人に相談した時「で、かめのはどうしたいの?どうなりたいの?」と聞かれて答えに窮した。
当時、私はまだアセクシャルという言葉も知らず当然自分を疑いもせず(ただ高校入学時の制服の件などジェンダーへの疑問はあった)生きていたのだが、この件はその恋が破れてからもなおずっと私の中にモヤを残すことになった。

そう、どうもなりたくなかったのである。考えもしていなかった。
早い話が付き合いたいとさえ特に考えていなかったのである。手を繋ぎたいとか、キスしたいとか、そんな感情や感覚が一切自分の中に無かったことが、あまりにも衝撃的で、友人の問いにどう答えたか覚えていない。
相手を強く尊敬していて、話して楽しいと思っていて、顔を合わせられれば嬉しかった。相手が幸せになれれば良いと強く思っていた。もちろん自分が相手の特別になれたらこの上ない喜びだっただろうと思う。でもそれは他の友達と一緒に遊ぶのと似ているといえばそうかもしれないし、その相手を含めたグループで過ごすのも好きだった。
一方で、この相手は後に別の女性と付き合うことになって、悲しくて泣いたし、嫉妬もした。でも幸せなら良いやお幸せにと思っていた。そのくせ、2人に出くわしてしまって気まずくて隠れる、というような夢も何度も見た。
ただの強い尊敬だろうと言う人もいると思う。
――もしあの感情が恋でなかったというのなら、私は今からでもあの感情に適切な名前が欲しい。
私は恋をする生き物か、そうでないかという答えは未だ出ていないのだから。


【私は誰にも何も返せないという絶望】

孤独死は嫌だなと思う。親からいい人はいないのかと急かされる。
そりゃあ、魂の片割れたる特別な誰かを見つけられるのは幸せなことだろうと思うし、憧れはないわけじゃない。
ただ、世間では恋愛の延長線上にあるとされる行為を受け入れづらい私にとって、ほぼほぼ不可能なんだよなぁという諦めと、生物としてどう考えても不完全な自分への絶望感というのは常に存在している。
大人になってから人を好きになったことはあるんだ。ただ、私はその人と手を繋ぎたいとさえ思っていなかった。その人の名誉のために言うが彼に性的魅力が無いとかそんなんじゃない、と思う。私がその考えに至れないだけで。
誰かを好きになったとて、私は普通とは異なるものを向けるしかないし、おそらく一般的に求められるものを返せないだろうと思っている。
そんなことを考えていると、視界がぼんやりしてくる。

 

【一切性への興味ないの?修験者?】

これはわりとハッキリめに「否」と答えておく。
……といっても、知的好奇心という観点から「人生の実績解除」的な意味でが強い。とはいえあくまでも実績解除、トロフィーコンプがしたいだけなので1回済ませたら飽きそうだ。少なくとも恋愛感情とは結びつかず、遠いどこかにある。
私はこれをバンジージャンプに例えて話すのだが……頼む。伝わってくれ。
テレビとかでバンジージャンプしてる芸人さんとか見るとちょっと興味持たない?頼むので持つ体で話を進めさせてほしい。私は「創作のネタになりそう!」とかいう理由もありやってみたい。あと銃も打ってみたい。シューティングバー行ってみたい。超行きたい。
話は逸れたが、正直私のセックスへの興味はこのバンジージャンプや銃へ向けるものと同レベルだ、ということなんだが頼む伝われ。

もしかしたら私が性的に惹かれる人間がまだ目の前に現れていないだけかもしれない、とちょっとだけ期待してしまう自分がいるのも理由かも。ただでさえマイノリティやら精神疾患抱えてるのに性別でまで悩まされるのはしんどいのだ。
ああ、何だかんだ多様性を受容しきれていない自分にうんざりだ。
人の相談だったらそれでもいいよって言えるのに。自分のことになるとそうもいかないのは、私も酷い人間だと思う。所詮他人事ってか。
(これは母からやんわり孫を期待されているなどの家庭事情もあるからなのだが、だからといって許される話でもあるまい)


【本当にアセクシャルか?】

全人類潜在的バイセクシャルの可能性あるんじゃね?と思っていた時期がある。
すなわち、「世間の大多数であるヘテロセクシャルの人も、もしかしたら性的魅力を感じる同性に出会ってないだけなのでは?」という疑問だ。
そもそもなんだが、自分は異性しか好きにならないという確証はどこで得たのだろう?同性しか愛さないというのもそうだ。何をもってしてそう思うんだろう。
だって地球に70億人人間がいるのに、死ぬまでに縁を持てる人間は数少ない。ブルゾンちえみも言っていた、男の数は35億。つまり半分を異性として、その中でも浮気だの心変わりがあるのに、次の心変わりが今までの性愛対象と違わないと絶対は言い切れないんじゃないんだろうか。
そしてそれは私にも言えるのだ。誰にも性愛を抱かないとは言い切れないんじゃないかと。
いやだから何?そんときゃそん時だよって程度ではあるんだが。
正直、デミセクシャルかもとはちょっと思っている。でも過去に片想いをしても特に何も思ってなかったのでやっぱりアセクシャルなのかもしれない。

note.com


無いことの証明って確かに面倒だな。
死ぬまで、いや死んでも分かるまいよ。やはりもし私が今後アセクシャルから立場を変えたとして、それは別に悪いことでもないやと受け入れる心の広さと余裕と覚悟を持っておこう。