亀野の言葉を選ばない雑記帳

かめのが徒然書くところです。真面目なことからパッパラエピソードまで。

多様性にはまだ遠く~ランドセルの思い出~

進研ゼミのキャラクター、コラショをご存じだろうか。

知らない方は以下に公式のリンクを貼っておくのでキャラ紹介を読んでほしい。

だいすき!コラショ | 進研ゼミ小学講座の会員サイト【チャレンジウェブ】

 

うさぎのようにも見えるが、ランドセルの妖精である。
彼は井上きずなという少年のランドセルから生まれたのだが、あることにお気づきになっただろうか。

コラショは赤い。

繰り返すが、コラショは井上きずな通称キッズ少年のランドセルである。
男の子のランドセルである。

私が入学してすぐのチャレンジの漫画には、コラショとの出会いの物語が描かれていた。
うろ覚えもあるが大筋はこう。


キッズに祖父から赤いランドセルが贈られる

ついに小学生だー!お兄さんになるぞー!とキッズが喜んでいると「赤は女の子の色だよね」と女子に笑われる

ショックを受けたキッズは人気の無いところまで走り、「ごめんね」と言いながらランドセルを投げ捨ててしまう

帰り道が分からなくなり困っているキッズに「コラショ」を名乗る不思議な生き物が声をかけ、自分がランドセルであること、キッズの祖父に購入されてからキッズに会えることをずっと楽しみにしていたこと、背負ってくれた時の背中の暖かさが嬉しかったことを伝える

二人は和解。コラショが不思議な力で帰り道へ導いてくれる


ランドセルの色もかなり多様化してきた今もこのエピソードには変更がないのか調べてみたら、YouTubeにアニメがあった。

youtu.be

少なくとも2016年まではこれで公式見解のようだ(笑うというより疑問に思われる程度だったり投げ捨ててはいなかったりと私の時と細部は異なるが大筋は同じ)。


先程の公式サイトによるとコラショというキャラクターが生み出されたのが1998年だそうなので(完全に余談だが弟と同い年だ)、25年程前のことである。
当然当時LGBTだの多様性なんだのという言葉は認知度問題どころか、下手しなくても日本では使われてもいなかっただろう。 
性別抜きにしてもランドセルの色の固定観念はまだしっかり根付いていた頃だ。
事実、95年生まれ02年小学校入学の私の教室のロッカーは、女の子の赤男の子の黒のランドセルでほとんどが埋まっていた。

私は入学前、ランドセルのカタログを見てミントグリーンのランドセルを欲しがった。
しかし親(というか我が家は父が不在がちだったので主に母)は「浮いてしまうからやめなさい」の一点張りで、私のランドセルは赤になった。
クラスに一人だけいた黄色いランドセルの子は確かに目立っていた。別に黄色は好きではないけど……目を惹いた。
今思えば、黄色いランドセルそのものではなくそれを選ぶ自由があったことが羨ましかったのだと思う。


私は少し前まで学童保育に勤めていたが、カラフルなロッカーを見て時代は変わったとつくづく思ったものだ。
紺色水色茶色ピンク……かなり賑やかだった。
読者の皆様ももし通学路を歩き、登下校の時間に被ったなら眺めてみるといい。今のランドセルはかなり色とりどりだ。
しかし、私は未だに「赤いランドセルの男の子」「黒いランドセルの女の子」は見たことがない。
実は先程述べたも、暖色系は女子、寒色系は男子であることがほとんどである(パステルカラーなら女子の寒色はまれにあるが……逆に暖色の男子はまず見ない)。

色と性別といえばお笑いコンビオードリーの春日さんの存在はなかなか話題というか、男でもピンクいいじゃん!の流れを作ってくれて良かったとかネットでちらほら見掛けた覚えがある。しかしオードリーのTV露出からそこそこ経った今でも、色とジェンダー固定観念から完全には抜け出せていないらしい。

この辺はまだ、進研ゼミが先を行っているようだ。
販促漫画の展開の強引さなど(主にネットで)ネタにされがちな進研ゼミだが、このコラショ周りの設定はめちゃくちゃ褒められて良いと思う。


ここからはしばらく、私の話をする。

私の高校の制服に女子スラックスがあり、膝丈スカートが嫌いだった私はスラックスを希望したが、母の強い反対に遭いスカートを買った。
入学式、確かに少数派ではあったがそれでもスラックスの女子はいたし、(裕福な子という条件はあれど)スカートとスラックスを日によって履き分ける子もいた。
亀野の高校は長らく私服校だったのが、私の代で制服を導入することになり、その導入の是非もデザインも生徒投票の結果だったという特殊な経緯がある。当時、まだLGBTムーブメントはそこまで活発でもなくなぜ女子スラックスが制定されたのかは分からないが、とにかく言えるのは性自認が女性の生徒でもスラックスを履いている子は確かにいたのだ(そして性自認が男性らしい子もまた、存在していた)。

大学の入学式に当たってスーツを買うことになり、再びパンツスタイルを希望して、途中までは確かにスラックスのコーナーにいたのだが、いつの間にかスカートのスーツを買うことになっていた。
入学式の日、げっそりしながらストッキングを履いて膝よりやや上のスカートに違和感を抱えながら電車で会場に向かう時「ほら、あの男の人、りょうを見てるよ」と母に言われたことは未だに凄まじい不快感として胸に刻まれている。男性が実際私を見ていたかはどうでもよくてとにかく無かったことにしたい。
正直この出来事で女であることが凄く嫌になったところはある。

思えば男女観や多様性についてはかなり古めかしい家庭であり、男女観も昭和な母である。
私が高校受験の際に滑り止め私立をお金がないから受けさせて貰えなかったのは良いのだが、弟はなんか当然のように滑り止め受けて合格貰った上で公立試験に臨んだの、正直未だに「?」だ。金欠はどうした。女なら中卒就職でも高校浪人でも良いと言うのか。
まぁ受かったが前期は落ちて冷や汗ものだった。

しかも女は結婚すれば終わりだからと、大学進学はしない予定だった。少なくとも1年生の進路調査は高卒就職と書いた記憶がある。
幸い?似非進学校あるある「進学しない生徒がいない前提」であらゆる物事が進む高校だったので、流れで大学受験をすることにはなったが。
※これは第一子あるあるの手探りで何も分からなかったといのも無くはないが……
結局優遇されていた弟が高卒ニートしてるのはなんだか本当に、複雑である。

最終的に我が家の古さの愚痴になってしまった。
皆様のご家庭ではどうだろうか。自分が今親世代だぞ!という方はよくよく行動を振り返り、考えてほしい。
子世代の皆様におかれましては、現在日本にはジェンダーフリーの概念がが広まりつつあっても、浸透はしていない(と私は感じている)。もしかしたらそれで心折られる日があるかもしれない。立ち向かうもよし、とりあえずそこは引いておくもよし。(なにせ立ち向かうにはあまりにも労力が要るのだ!無理すんなよの意)
少なくとも何を選択しようがあなたはあなたであり、なにも間違っちゃいないことだけは心に留めておいてほしい。